役者
小さい頃から演じることへの興味はありましたが、中学高校そして上京して本格的に続けてゆくなかで、自分はけして優秀ではなかったんです。
演じることは好きでしたが、生まれた時からひ弱で声は小さく表情も乏しく体も固い自分でしたから。トホホ…。
演劇が好きで、中学も高校も演劇部、特に高校は演劇の名門でしかもある事情により部長。
(他の同級生は皆生徒会入りで、他に該当者がいなかった為しぶしぶだったのです!(^^)!。)
高校2年終わりから東京へ役者の勉強に通いました。
(毎週東京に役者の勉強に通っている同じ部員の同級生に影響うけましてね!(^^)!。)
往年の俳優「夏川大二郎氏 佐分利信氏 徳大寺伸氏 上原謙氏」が講師陣で、まさにいろんな演劇論に触れることができました。
舞台のあり方、役者のあり方等、先生によって考え方が異なります。
いろいろな考え方に触れることこそが、のちの自分に大きな意味をもたらしたと思っています。
ところで、高校時代からTVドラマ、CM、映画等若干出演しておりました。
それと平行して舞台にも出演しそののち、恩師の「夏川大二郎先生」を中心に劇団[表現劇場」の旗揚げに参加したわけです。
そして先生とその仲間達と数年間劇団の中で活動しておりやした。
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しかしながら、高校時代東京まで役者の勉強に通っていた頃から、CMやドラマや映画等の現場にからませて頂いたことは今後の私には大きな方向転換のきっかけでしたね〜、マスコミって……??ってこと(苦笑)。
当時は例の「赤いシリーズ」の時代です、その現場には良く行かせて頂きました。
CMは一番覚えているのは「トクホンチール」!箱根でのロケでした。車に酔ってしまう自分は楽しさより辛さ!(^^)!、でもちょっとアップがあって若かった当時のわたしはきっと嬉しかった〜んでしょうね!(^^)!。ちなみに17歳!
それにしても、東京から朝浜松の高校に向かったことも何度もあったな〜当時は東京浜松間2時間4分です、よく間に合ったものです(笑)。新幹線の中で食べるサンドウィッチが美味しかったな〜
実はこの頃、東京でたまに寝泊りさせて頂いていたおうちがありました。
ここには少しエピソードがありましてね……そのおうちのご主人が浜松に向かう途中に事故にあわれ、看護助手をしていた浜松の母の勤務する病院に入院されてきたのです。
ところが奥様は乳飲み子を抱えて東京から浜松までご主人のお世話に通うのはあまりに大変、そこで母がその役目を買ってでました、恐縮する奥様に母はひとこと「ではたまに娘を泊めてあげて下さいな(笑)」ってなわけです。
創作舞踊
役者時代と平行して舞踊との出会いがありました。
花柳流の舞踊ですが自分が関わらせて頂いたのは剣舞のようなものや、民謡を現代風にアレンジした創作舞踊でした。あちこちで舞台に立つ機会を頂き、今思えばひ弱だった自分が健康になってゆく実感もあったし、充実してたのかもしれませんね。
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この時の経験が今につながっているし、つくづくその頃お世話になった先生がたには感謝です。
和太鼓奏者
リズム楽器には以前から興味があり、又、舞踊関係の流れのせいか体を使っての表現豊かな和太鼓演奏には大変魅力を感じたんですね。
今から約30年前、体のすべての機能がひ弱な自分は、初日の稽古で40分位の素振りをやっただけで、翌日体中炎症を起こし寝込んでしまったんです、情けない!(笑)
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お陰様で健康になり、イベントや舞台もたくさん経験させて頂きました。
今現在はschoolコンサート等「婢弥鼓の鑑賞教室のご案内」を中心に出演してます。
現在でもメンバーとの合せの前には、体力づくりや自主トレを十分することがいづみの中では原則になっておりやす、己を知ること……ですかね(笑)
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