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ha.jpg講演詳細hanabana.jpgWho is いづみかほる ?hanabana.jpg依頼etcha.jpg

いづみかほるの人としてのひとりごと

 妻であったり母であったり、又お仕事上での肩書きとかみんないろいろあると思うけど、
人は人なんですよね!

生まれたままの純粋さがいつも必要だなと感じるのです。


人ってもしかして、知識が備わると感性が失われるという反比例の方程式があるのかしら…。

純粋にものを見る目を失わず生きたいものだと常に感じるいづみかほるです。 


幼少期の自分

せいぜい20歳まで生きられれば上等

 自分は大変な難産で生まれたあげく、ミルクを飲めば吐きを繰りかえし、とても人並みの子供ではなかったようです。「この子はせいぜい20歳まで生きれば上等でしょう」と言われた程です。

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 20年前、兄が亡くなり郷里(静岡県周智郡森町)に帰りますと、お寺の方々(お世話になった幼稚園の先生がた)や親戚が、元気そうな自分に驚いている風でした。90歳に手の届く叔父や叔母から「体の具合はどうだい?」なんていたわって貰って変な感じでした。でも、それだけ誰の目にも幼少時代の自分は貧弱な子だったんですね(笑)

 

学童期の自分

 生まれつき慢性腎炎 

 8歳の時、父が他界しました。
慢性腎炎を患っていて、尿毒症をおこして二週間目に亡くなりました。
その後すぐに、自分も吐き気やだるさで学校に行けず病院で見てもらうと、父と同じ先天性慢性腎炎であることが判りました。

 家の中の重なる悲しい出来事

 父と同じ先天性慢性腎炎であることが判明したのは、父が亡くなって半月後のこと、即入院でした。
 更にもうひとつ、我家に大きな不運が起きました。
母の仕事として育てていた1000羽程のカナリヤが、伝染病で全滅してしまったのです。
カナリヤはみんな、口をパクパクさせながら苦しそうに死んでいきました。
死んでしまった多くのカナリヤは庭に埋めてあげ、他は父の墓の隣にも埋めてあげました。
重なる悲しい出来事を冷静に受け取る余裕も無く、我家は母の仕事探しと私の病院通いの為引越しをしました。
4年生になる春休みのことでした。

 慣れない土地や学校

 父の死の哀しみも癒えぬまま、自分の病気の不安も抱えたままの新しい学校での慣れない毎日、ましてや田舎から都会への転校は辛かったですね。
顔では笑ってましたが、いつでもどこでも父の生きていた頃を思い出しては泣いてましたね。
兄も辛そうだったし母ももちろんそうです、いつのまにか我家から笑いは消えてしまってましたね〜
そして私も笑わなくなっていきました、やがて私は
【笑わない子】と言われるようになっていたみたいです(苦笑)。

思春期の自分

 内向的な少女

 心身ともに自分に自信が持てず、声も小さく引っ込み思案でした。心の中では喜怒哀楽を感じていても、それを外に表せない少女でした。そんな自分が嫌でたまらなかったのですが、どうしようもなく毎日が過ぎてゆきました。 

上京後の自分

 生まれ変わりました

 環境が変わることで人って生まれ変われるものなんですね、上京してからどんどん気持ちが楽になっていったんです。弱虫レッテルは剥がれ、真っ白な状態で自分のキャラクターを改めて作ることが出来て…男の子への呼び方も、以前は…君しかできない自分でしたが、親しげに呼び捨てができるようになり、体の弱いことは忘れてむちゃくちゃに忙しい毎日を送りました。

 入院そして死にかけました

 あまりの体への酷使に体中が炎症を起こし、帰郷して入院になりました。腎臓の組織を取って本格的に検査をしました、その際何分か意識が遠のき、それを見た母も倒れ大騒動でした(苦笑)。母が言うには意識が遠のく時の私の顔が、死んだ父の息を引き取った時と同じだったらしいのです。心配かけどうしの娘…本当に申し訳ないm(__)m

結婚した自分 
 
 一人から夫婦で歩む人生へ”運命共同体!”

 不思議なはなしです、自分の人生計画に結婚はありませんでした。
けれど、19歳になったばかりの私の前に「運命共同体」となるパートナーが現れ21歳であっという間に結婚です。
結婚すると、人生は自分だけのものではなくなります。
自分の人生と共にパートナーの人生をも受け入れなくてはいけません。
共に良い時も悪い時もずっと一緒にそれを乗り越えていく、それが夫婦です。
まさしく「運命共同体」ですね。夫には本当に感謝だらけです。


親になった自分

 出産によって強くなってゆく!

 結婚同様にやはり不思議なはなしです。
腎臓病を抱えた自分の人生計画に出産はありませんでした。
そんなふうに、人生は自分の計画どおりにはいきませんね。
しかしながら、意味あって神様は腎臓を患っている自分に出産をさせたにちがいありません。
私の成長の為に、人生のパートナーを送り子供を授けさせたのです。
それが今は明確に確信できるんですよ。
不思議なことに出産したことで体質が変わり、どんどん私の体は丈夫になっていったんです。

夫の難病発覚

 看病される側からする側!

 妻としてのページで記していますが、子供が授かってすぐに夫の難病が発覚しました。
自分は今まで看病して貰う側だとずっと思ってきました、ですが24歳のこの出来事から自分は看病する側となったのです。
これもきっと意味あって神様がそうさせたにちがいないと思っています。
人間とは、して貰う側ばかりではなく、して差し上げることで成長するんですものね。
夫の難病はけしてうれしい話ではありませんが、そういった意味では確かに自分はお蔭様で強くもなり多少なりとも優しくもなり、心の成長もしたように思います。

現在の自分

 「10数年間、病状がこんなに安定している患者さんは今まで例にないです、まか不思議な現象です!」
腎機能が全く低下しない状況に、こんな風に主治医の先生に言われ続ける自分です。
腎臓が悪いという現実はしっかり受け止めながら、自分の体を労わりつつも程ほどに心身を酷使する。これが今の自分の生き方!

病気は薬で治すものではなく、自分の体は自分自身で治してあげよう精神で今後も生き続けます。
体調が悪い時には冷静に心身と向かい合うことが大切な気がしています。
すると体や心の内部から声が聞こえてくるように思えるので面白いはなしですね。
どこが辛いのかその不良は体や心のどことつながっているのか、それを集中すると解決の糸口が見えてくるから楽しいはなしです

 これから未来に向って、もっともっと身も心も膨らませることが出来たらと思うのであります。
今まで良いこともそうでないこともあるけど、そうでないことがむしろ次への活力になるわけで…それもあり難い仕打ちでもあるわけ(笑)。
理屈なんていらない、みんなが笑っている、親子が笑っている、地球が笑っている、それが何よりのしあわせですよね。
そんなこといつも考えている自分です(笑)。
そう考え続けて、気づいたらお婆ちゃんになってたりして!(大笑い)。
いやいやもうお婆ちゃんだ!
 孫が生まれた!

 私は勝手に家族に一文字漢字を考えた。
夫はいつも朗らかだから
「朗」。息子はいつも陽気だから「陽」。お嫁ちゃんはいつも笑顔だから「笑」。孫はいつも和む存在だから「和」。そして私はいつもみんなを慈しんでいるから「慈」
 かつて
【笑わない子】と言われた私は毎日笑って暮らしている。家族みんなに感謝!


 

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